狭山市入間鎮守 八幡神社

境内社

境内社

本殿

本殿
ご祭神

第十五代 応神天皇 (誉田別命)
合祀 天照皇大御神・春日大神

例祭日

<春季> 4月15日 ・ <秋季> 9月15日

ご由緒

九州宇佐八幡宮を本社とする全国八幡宮の一社。
創建は、社宝『砂破利のつぼ』の推定年代から、室町時代初期とされている。
源氏一族の保護により、武門の神として隆盛をみて後世、新田義貞の信仰厚く一時『新田の八幡宮』と
称されたこともある。
今日では応神天皇とその母、神功皇后の事績により文化興隆の神として文武に志す人々に、崇敬の念が厚く、
さらに母と子の情愛から母子神の信仰を生み、安産から初宮詣、そして子育てへのご神徳を仰ぎ、
また、新田義貞が合戦に向けて当社で戦勝祈願をし、見事勝利を治めたところから
文武・必勝の神として市民に親しまれている。

八雲神社(天王さま)

八雲神社(天王さま)

ご祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
例祭日 7月中旬の日曜日
ご由緒 江戸時代まで牛頭天王と称されていたが、明治初年に
八雲神社と改められた。
創建は徳川3代将軍よりご朱印地を賜っており江戸初期あるいは
それ以前とされ現在の社殿は文政7年(1824年)の建築である。
夏季例大祭で巡行する御神輿は、この社殿に納められており、
安永2年(1773年)の造営で重量400kg。
屋根には社紋の巴と寺紋の卍が施され、その古さを伝えている。

入間川神社

入間川神社

ご祭神 日清戦争から第二次大戦までの数次にわたる戦役で、国に殉じた軍人・軍属と、入間川町の発展に貢献した文化人の御霊
例祭日 4月15日
ご由緒 第二次大戦の終結により、取り壊しの運命にあった
当時の奉安殿を、町民の勤労奉仕によって当社の境内地へと
移された。

思兼神社(太子さま)

思兼神社(太子さま)

ご祭神 八意思兼神・聖徳太子
例祭日 4月22日
ご由緒 八意思兼神は、八百万の神々の知恵を一身に兼ね備えていた
という。また、聖徳太子は同時に数多の民衆の意見を聞き分けたと
伝えられ、共に英智の神として崇められている。さらに聖徳太子は、
当時の乱れた世の中に仏教を広め、全国に寺院の建立をうながし
国民生活の安泰をはかったという。
その徳を慕う民衆、建築に携わった匠たちがこれを称え、
建築の祖神として今日に受け継がれている。
その技術革新の信仰が広く、工事関係者の間にまで伝えられている。

琴平神社(こんぴらさま)

琴平神社(こんぴらさま)

ご祭神 第十代 崇神天皇
例祭日 4月15日
ご由緒 昔、暴風雨の中を漂う漁船を、天狗の姿となって海を鎮め
救助したという伝えが、航海守護、大漁祈願の信仰を生み今日では、
商売繁盛、五穀豊穣の信仰へと発展している。
社殿は近年改築されたものであるが、御鎮座は300年前と
伝えられている。

摂社・末社

ほこら

左から「疱神社(疱瘡神さま)」「高良神社」「大鷲神社(市神さま・お酉さま)」「甚兵衛大権現」「御嶽山(御嶽神社)」

大鷲神社(市神さま・お酉さま)

大鷲神社(市神さま・お酉さま)

ご祭神 保食命(うけもちのみこと)
例祭日 12月1日
ご由緒 元来花柳界の人々によって信仰されていたが、明治初年に開設された
入間川市場の繁栄を願って祀られた。

高良神社

高良神社

ご祭神 建内宿禰(たけのうちすくね)
ご由緒 景行、成務・仲哀・応神・仁徳の五代天皇に仕えた忠臣で、
各地の八幡宮の境内に祀られているという。
医療、甲冑製作等を指導したと伝えられている。

甚兵衛大権現

甚兵衛大権現

ご由緒 当時の有権者、中島氏によって祀られ、現在の入間川2丁目付近に鎮座し、
祭日には赤飯を子供たちに振る舞ったという。昭和33年に境内地に奉遷した。

疱神社(疱瘡神さま)

疱神社(疱瘡神さま)

ご祭神 和津良比之宇斯命(わずらいのうしのみこと)
ご由緒 江戸天保年間、この地方に天然疱がはやり、これにかかった母子が回復を祈って
寄進したもの。祠の石を削り、神棚に捧げ、朝夕拝んだ結果、みごと病を克服したと伝えられている。

御嶽山(御嶽神社)

御嶽山(御嶽神社)

ご祭神 伊弉那岐命・伊弉那美命
ご由緒 神話に登場する日本の国土を生んだ夫婦神。詳細は不明である。