第十五代 応神天皇 (誉田別命)
合祀 天照皇大御神・春日大神
<春季> 4月15日 ・ <秋季> 9月15日
九州宇佐八幡宮を本社とする全国八幡宮の一社。
創建は、社宝『砂破利のつぼ』の推定年代から、室町時代初期とされている。源氏一族の保護により、武門の神として隆盛をみて後世、新田義貞の信仰厚く一時『新田の八幡宮』と称されたこともある。
今日では応神天皇とその母、神功皇后の事績により文化興隆の神として文武に志す人々に、崇敬の念が厚く、さらに母と子の情愛から母子神の信仰を生み、安産から初宮詣、そして子育てへのご神徳を仰ぎ、また、新田義貞が合戦に向けて当社で戦勝祈願をし、見事勝利を治めたところから文武・必勝の神として市民に親しまれている。
室町時代より江戸時代まで武将が扱った政治上の文書のこと。当社所蔵のものは、徳川幕府より授けられたもので、土地所有を保証することが明記されている。
中段より上が47段、下が24段あり計71段とする。
上段は赤穂47士にちなみ、下段は中国の故事24孝をとり享保12年(1727年)に造られたものである。
現在では狭山日高線の開通に伴い、石段は中段より曲げられ、鳥居も階段下へと移されてあるが、本来は上段から直線上に商店街の通りまで参道が延び、その入口に鳥居が建てられていた。
9月中旬の秋祭り(秋季大祭)に豊作を祝って行われる。正徳3年(1713年)の頃に「田舎には珍しき壮観なり」と記され、300年余の昔から、盛大に行われていたことを伝えている。