ご由緒
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ご祭神 第十五代 応神天皇 (誉田別命)
合祀 天照皇大御神・春日大神

例祭日 <春季> 4月15日 ・ <秋季> 9月15日
※秋季大祭は9月中旬の土・日となります。

ご由緒 九州宇佐八幡宮を本社とする全国八幡宮の一社。
創建は、社宝『砂破利のつぼ』の推定年代から、室町時代初期とされている。源氏一族の保護により、武門の神として隆盛をみて後世、新田義貞の信仰厚く一時『新田の八幡宮』と称されたこともある。
今日では応神天皇とその母、神功皇后の事績により文化興隆の神として文武に志す人々に、崇敬の念が厚く、さらに母と子の情愛から母子神の信仰を生み、安産から初宮詣、そして子育てへのご神徳を仰ぎ、また、新田義貞が合戦に向けて当社で戦勝祈願をし、見事勝利を治めたところから文武・必勝の神として市民に親しまれている。



社 宝

形 式

彫 刻

年 代

本殿並びに彫刻 (市指定文化財)

唐破風向拝付、千鳥破風付入母屋造

一間一面

江戸時代末期



社 宝

大きさ

年 代

備 考

砂破利のつぼ (県指定重要文化財)

高さ187m・口径70cm・直径100m

室町時代

拝殿造営の際、本殿神門の下から発見された。つぼの中からは靭粒と金銀の泊片が検出された。これは八幡神社創建にあたり、地鎮祭の時の「鎮壇」と推定される。



社 宝

朱印状八枚

室町時代より江戸時代まで武将が扱った政治上の文書のこと。当社所蔵のものは、徳川幕府より授けられたもので、土地所有を保証することが明記されている。



史 跡

新田義貞 駒つなぎの松

元弘3年5月、北条高時を討つべく上州新田群生品明神の社頭に挙兵した新田義貞は、5年10日所沢小手指原に幕府軍との戦火を交えた。その時、新田軍は源氏ゆかりの当社へ自ら戦勝を祈願した。その戦勝祈願の際、愛馬をつないだ松が本殿東側に残る老樹である。





史 跡

表参道の石段

中段より上が47段、下が24段あり計71段とする。
上段は赤穂47士にちなみ、下段は中国の故事24孝をとり享保12年(1727年)に造られたものである。

現在では狭山日高線の開通に伴い、石段は中段より曲げられ、鳥居も階段下へと移されてあるが、本来は上段から直線上に商店街の通りまで参道が延び、その入口に鳥居が建てられていた。



伝 統

入間川鹿子舞 (市指定無形文化財)

9月中旬の秋祭り(秋季大祭)に豊作を祝って行われる。正徳3年(1713年)の頃に「田舎には珍しき壮観なり」と記され、300年余の昔から、盛大に行われていたことを伝えている。



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